時計の針が止まっても



                     「あれ?これって・・・・・」


                    蓮と結婚し、新居に越してきてまだ数日のこと。
                    場所を占拠していたダンボールの数もだいぶ減り、残る数個を片付けに
                   入っていた香穂子はあるものを見つけた。

                    プレゼント用の白い小さな箱に入れられた女性用の腕時計。

                    蓮の荷物の中から見つかったものだが、見覚えのあるそれを
                   蓮が持っていたことに香穂子は驚いた。


                    チョコレート色の革のベルトに金色の針。
                    秒針は動いていないが、一目で高級なものとわかる。

                    それは昔、香穂子がとあるお店で見つけた時計だった。


                    話は高校生の時に戻る。

                    その頃の香穂子は片思いだったが蓮への思いは自覚していた。
                    休み時間や放課後になれば彼の音を探していたし、少しでも話すきっかけを作ろうと
                   躍起になって追いかけていた。

                    その日も些細なきっかけが実り、2人で練習することを叶える事が出来た。
                    練習室でケースからヴァイオリンを出しながらも、隣に立つ蓮の姿を焼き付けよう
                   とチラチラと視線を送る。
                    その時、彼が身に付けていた物が目に入り、興味を抱いた。

                    茶色いベルトに金の枠組みをした時計だった。
                    今まで蓮が時計をしているのを見たことが無かったので珍しかったのだ。

                   「月森くんが時計してるなんて珍しいね」

                    香穂子の言葉に蓮は自分の腕を見やり、「ああ、これか・・」と呟いた。

                   「いや、授業中やテストの時なんかはちゃんとしているんだ・・」
                   「ただ、授業でヴァイオリンを弾く為に外すとそのままになってしまうことが多いが・・」

                   「そうなんだ?」

                    香穂子は首を傾げて時計に見入った。
                    高校生の香穂子から見てもそれが高そうなものだとわかる。

                   「高校入学祝いに祖父から貰った物なんだ」
                   「良い物だし、使いやすいので俺も大事にしている」

                    時計を見ながら口の端を少し緩めた蓮を見て、香穂子は「いいなぁ」と
                   無意識に思った。
                    それが時計になのか、贈ったものを大切にしてもらっているおじいさんにかは
                  解らなかったけれど・・。

                    それから数日後。
                    学校帰りに駅の方まで足を伸ばした香穂子は、あるお店のショーウインドーの
                  あるものに引き寄せられた。
                    
                    チョコレート色のベルトに金の枠組み、そして針。

                    それは月森がしていたものより小振りの女性用の時計だった。

                    「あの時計、女性用もあったんだ」

                    思わずショーウィンドーにへばりつくように見ていると、擦れ違う人が不思議そうに
                   香穂子を眺めていた。
                    だが今は、そんなのはお構い無しに値札を確認する。
                    そして並んだ数字を見て灰になりかけた。

                    到底、高校生がバイトやお年玉を貯めたところで手の届く代物ではない。

                   「はあ〜」

                    大きな溜息を一つ。
                    何だか、月森にも手が届かないと言われているような気さえしてくる。
        
                   (大人になるまで・・・あるわけないよな〜)

                    香穂子はまた一つ、溜息を落とす。
                   その時は何度も振り返りながらそこを後にしたが、時々そこを通りがかるたびに
                 その時計があるかは確認していた。
                   「いつか・・」と思いながら・・。

                    だが、ある雨の日。
                    その思いは崩れてしまった。

                    いつものようにそのショーウィンドーを覗き込んだ時、その時計がなくなっていることに
                   気づいた。
                    置いてあった場所にはブローチが飾られている。
 
                    香穂子は焦ってお店の中に飛び込んだ。

                   「あの!飾られていた腕時計は・・・・」

                    店内にいた女性が不思議そうに答える。
 
                   「あれでしたら昼頃に購入された方がいますが・・何か?」
                   「買われた・・・?」
                   「はい、限定発売されたものなので数が限られていまして・・その方もずっと
                  探されていたようですよ」
                   「じゃあ・・もう同じものは無いんですか?」
                   「えぇ、残念ですが・・・」

                    困ったような笑みを浮かべる店員の言葉に香穂子は身体の力が抜けていくの
                   がわかった。

                   「そうですか・・・わかりました」

                    やっとのことでその言葉を口にするとフラフラと店の外に出た。
                    雨は先程より強くなっていた。
                    店先で空を見上げながら泣き声を上げる香穂子の声は雨音にかき消された。


                    その時の時計が今、香穂子の手元にある。
                    香穂子は感慨深そうに眺めながらソファーに座り込んだ。
                    何だか今にも時計の針が逆に動いて、あの頃の気持ちを思い出させるような
                   錯覚に陥る。

                    「香穂子・・・・?」


                    他の部屋を片付けていた蓮がいつの間にか部屋の入口に立っていた。

                    「どうしたんだ・・・?」
                    「蓮、これ・・・?」

                    隣に腰を下ろす蓮に時計の入った箱を差し出す。

                    「この時計・・・どうしたの?」
                    「高校の時していた時計の女性用だよね?」

                    蓮は時計を受け取り、少しの間眺めると急に顔を赤らめた。

                    「これは・・その・・」
                    「実は祖父からはあの時計とペアでこの時計ももらったんだ」
                    「この時計も・・?」
                    「高校入学の時、彼女が出来たらこれを渡せと・・」

                    蓮もその時のことを思い出したのか懐かしそうな表情をした。

                    (お前が女性と付き合うなんて余程愛した人だろう)
                    (結婚相手になるかもしれん。絶対に逃すなよ)

                    祖父の言葉にその時は何をバカなことを・・と思っていたが・・・。

                    「君は俺の時計を見たとき興味を持っていただろう?」
                    「それに昔、これと同じ時計が売られている店を覗いているのを見かけた
                   ことがあったんだ」
                    「その時はもう君に恋心を抱いていたときだったから、気に入ったのならこの時計
                   を君に渡そうと思って、祖父に相談したんだ」
                    「渡して良いかと・・でも・・」

                    (それは構わんが、相手の子はお前のことどう思ってるんだ?)
                    (何とも思ってない相手から高価なプレゼントを貰っても重いだけだぞ?)

                    (なんと言ったかな?若い子がよく言う・・・そう、ウザいというヤツだ)

                    その時の祖父の言葉はぐさりと胸に突き刺さった。
                    憎からず思われているのでは・・?という思いはあったが、両思いか?と
                   聞かれれば自信は皆無だったのだ。
                    そんなこともあり、蓮は時計を渡すのを諦めた。

                    そしていつしか秒針は止まり、時計は引き出しの奥にしまいこまれたが、
                   引っ越す際に再び発見され、蓮の手に寄って箱に詰められたのだった。

                    「じゃあこの時計はあの時の物じゃないんだね」

                    香穂子は再び時計に視線を落とす。

                    「あぁ、でもこれは君に受け取って欲しい」
                    「ずっと君に渡したいと思っていたものだし、修理すればまだ使えるから・・」
                    「俺もまたあの時計をしようかと思う」

                    今、蓮の手の中にある時計はあの時のものとは違う。
                    だが、香穂子が欲しかったものは蓮と同じ時を刻む時計だったのだ。
                    香穂子は再び時計を受け取った。

                    今度こそその願いは叶うだろう
                    再び動き出した時計の針は新たな2人の時間を刻み続ける。